日常生活に閉塞感を覚えて、精神を整えたくなったとき 〈何もしないことを目的に〉私が訪れる場所【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第26回
【〈わたし〉が帰りたがっている場所】
きっと私は〈何もしないことを目的に〉京都を訪れているのだと思う。蓋を開けてみれば東京と京都で過ごし方というものにあまり違いはない。本を読んで、ご飯を食べて、ふらっと散歩をして寝るだけ。わざわざどこかに行かなくても東京でも同じことはできる。しかしながら、自分の家だと「あれもしないと」「これやっておかないと」と次々に浮かんできてしまい、はっと我に返ったときには休む間もなくずっと何かをしてしまっている。
よくよく考えると私にとっての家は、もちろん生活をする場所という意味合いもあるが、どちらかというと戦う仕事場でもあるため、意識せずともそうなってしまうのは仕方がない気がしている。だからこそ、〈何もしないため〉には自分自身を強制的に家から引きはがす必要があるのは当然で、その行先として私にとってちょうど良いのが京都なのかもしれない。スピリチュアルなことに肩入れしているわけではないが、漂う空気が妙に身体にしっくりとくるのだ。
大事な用事があるわけでも、お気に入りの店があるわけでも、大切な人が大勢住んでいるわけでもない。縁もゆかりもない土地だけど、〈わたし〉が帰りたがっている場所。自らの歴史と血縁で築かれた故郷とはまた違う、今の私が大事に思う場所だ。そう思うからこそ、自分の精神を整えたいときや現状の生活に閉塞感を覚えたときに足を運びたくなるのだろう。京都に行くこと自体が一種のメディテーション(瞑想)みたいになっている。
きっとこれから色々な土地を訪れれば、同じように特別な感情を抱く場所は増えていくのかもしれない。その期待感も一つの旅の楽しみで、私が色々なところに行きたくなる大きな理由なのだ。